トヨタ自動車の首脳が終身雇用制度を守るといったとして、格付け機関のムーディーズが、トヨタ自動車の格付けを最上級のAAAからAa1に一ランク格下げしたことは、まだ記憶に新しい。終身雇用制度を維持することは「簿外の債務(隠れ債務)」を発生させるからだという。はたしてわれわれサラリーマンは企業の「隠れ債務」なのか。
日本の終身雇用・年功序列賃金制度のもとでは、サラリーマンは中高年を過ぎると自分が提供する役務以上の報酬をもらうことになる。ムーディーズはこれを、給料の過大支払の約束、すなわち隠れた「債務」で見なしたものである。
それに対して、日本のサラリーマンは若い働き盛りの間、働きに応じた十分な報酬をもらっておらず、その「貸し」を中高年に入ってから取り返しているに過ぎないとの主張もある。これは、従業員は経営に対して「債権者」の資格で発言権を有する、というステークホルダー議論にもつながってくる。そうだとすると、中高年層をねらったリストラなぞは、サラリーマンへの過去の過小給料支払い分(会社としての「借り」)を踏み倒すことにほかならず、とんでもないことだということになる。
本当にそうなのか。結論を急ぐ前に、二つほど考えなければならないことがあるように思う。
一つは、この種の議論は一般に平均値での議論がなされるが、ひとりひとりの個別ケースとなると千差万別だということだ。自分は受け取っている給料より遙かに大きな役務を提供していると自負する人が大部分だと思うが、現実は必ずしもそうでもないケースがあることも、これまた事実なのである(モチロンアナタノコトデハナイ)。
もう一つは、企業と従業員の時間空間をまたがる貸し借り関係は、企業ばかりでなく、従業員をも拘束することから、企業活動と従業員の人生両方を停滞的なものとするということである。江戸時代の住友にも「末家制度」という制度があった。若いうちの給金を低くおさえるかわりに死ぬまで終身年金を払うというシステムであったが、世の中がゆっくりと動く江戸時代であるからこそ機能したもので、明治に入って変化の早い時代になると、この制度は捨てられることになる。
ということで、やはり、どの個人をとっても、またどの時点をとっても、常に「貸し借りなし」と認められる報酬システムが望ましいことになる。ついにトヨタ自動車も従来の年功賃金から能力主義への移行を発表することになった。
永井荷風は、「貸し」と「借り」が複雑に入り組んだ日本社会の仕組みがどうにも我慢がならず、貸しをつくらない、また借りもつくらないという「不施不受」の哲学を徹底して実践した人であった。これが近代個人主義の原点であると考えたからだ。平成の時代、荷風の生き方が非常に今日的であると見直されているが、われわれのお給料も「貸し借りなし」で決めたいものだ。
(1999年7月5日 橋本尚幸)